◯「透層の絵画−光と色彩」 美術評論家 早見 堯
(1998年 個展リーフレット 於 GALLERY TAGA)
工藤礼二郎の絵画は灰あるいは黒に近い表面が、それとは逆の微妙な色彩の輝きと深さをともなっているところが特徴である。限りなくモノトーンやモノクロームに近づいていながら、正反対の色調の差異やポリクロームの現れを見せている。灰か黒やモノトーン、モノクロームに近づくのは、幾層にも絵の具の層が重ねられているからである。 不透明な絵の具は重なれば文字どうり灰や黒に近くなっていくが、透明な絵の具は光をたたえた独特な暗さをかもし出す。有彩色のいわゆる透層(ラズール、グレーズ)が下層の色彩と呼応しあったときに現われてくる光の輝きといえよう。工藤の絵画は、この透層の特有な扱いから生み出されている。 油絵の具に特有の絵の具の重層による表現を後方におしやり、ここ百年以上にわたって絵画の可能性を独占してきたのは、浅い空間と色彩のコントラストだった。印象主義以後の絵画では、タッチやストローク、面であろうと色彩の断片の併置が主要な方法となった。併置は表面上での色彩の軽快な戯れを得意としている。繰り返しや分割という現代美術の平面的な手法に結びついたのも周知のことだ。けれどもこの併置の可能性が疑問視されるようになって描くことや、絵の具の重層、トーナルな表現の可能性が今一度顧みられるようになっている。工藤の絵画はこうした動向の中に位置している。 光はいつも明るさとともにあったわけではない。工藤の絵画の色彩は、印象主義的な併置によるコントラストをこととする再現的な明るい色彩ではない。暗さの光だ。イタリア系統の形態や構築性でもなく、フランドルやオランダ絵画の透明な光と表面への関心を継承している。光はいつも色彩と関係を持っていたわけではない。伝統的な透層の表現が光を明暗の調子としてとらえたのに対して、工藤は光を色彩に変換している。工藤の絵画は、暗さの中で光と闇が交錯してうまれる光=色彩であり、絵の具というメディウムが自立的に生み出す具体的、現実的な光=色彩でもある。